surah.translation .

衣に包る者(ムハンマド(アッラーの祝福と平安を)のこと)よ、
立ち上り、アッラーの懲罰を警告しなさい。
あなたの主の偉大さを、讃えなさい。
そしてあなた自身を罪から清め、その衣を清浄にしなさい。
偶像崇拝を避けなさい。
自分の善行が多いと考えて、主に対して貸付を作ったとは考えるな。
あなたの主のために、こうむる危害について耐え忍びなさい。
ラッパが二度目に吹かれる時、
その日は苦難の日。
その日は、アッラーとその使徒を拒否する人びとにとり、容易ではない。
使徒よ、われとわれが創ったあの一人(頑固な非信者アルワリード・ビン・アルムギーラのこと)は、われに任せなさい。
われは、かれに多くの財産を与え、
その近くに息子たちを授け、かれらはかれと一緒に集り、豊かなのでかれと離れることなく旅していた。,
生活、食料、子弟など、すべてかれにとって、順調になるようにした。
それでもかれは、われがもっとたくさん与えるように望む。
しかしそうは行かないのだ。かれは、われが預言者に託した印を受け付けなかったのだ。
やがてわれは、耐えられないような苦痛でかれを悩ますのだ。
かれはそれほどの恩寵を賜ったのに、クルアーンを拒否するのに何を言うべきか、そして企みをしたのだ。
呪われて苦しめ。ひどいたくらみだ。
もう一度言うが、呪われて苦しめ。ひどいたくらみだ。
その時、かれは再考し、どう言おうかと考えた。
なにもクルアーンをやり玉に挙げることがないので、眉をひそめ、苦々しい顔をして、
それから、信仰から背を向けて、高慢にして、預言者(アッラーの祝福と平安を)に従わなかった。
かれは、ムハンマドがもたらしたのはアッラーの言葉ではなくて、昔からのただの魔術に過ぎないと言った。
アッラーのではなくて、これは人間の言葉でしかないと言う。
やがてわれはかれを、サカルの地獄の火で焼くことにしよう。
そのサカルという地獄の火が何であるかを、あなたに教えるものは何なのか。
それは何ものも残さず、一時去ってもまた戻る、そういう調子なのだ。
人間を焼き尽くすのだ。
その上には19の天使が、監視者としている。
われらが地獄の火の監視人としたのは、天使たちだけだった。人間にはそれには力がないのだ。だからアブー・ジャハルは、かれとその民の力は上回り、地獄から出られると言い張った時には、間違いを言ったことになる。またその数を19にしたのは、不信心の者への試みとして、かれらが言い張ってきたことで罰を倍加するためなのだ。つまりユダヤ人には律法が、キリスト教徒には福音書が授けられ、それらを受け入れつつクルアーンが降ろされている。そこで今回は啓典を授けられた者たちが前の二者に賛成し、ユダヤ人、キリスト教徒、そして啓典の民が一致して疑わないのに対して、信仰に躊躇しまた不信仰な者たちは、この奇妙な数でアッラーは何を望まれるのかと尋ねるのだ。この数を信じないで拒否する人が迷わせられるように、アッラーは御自分の望みの者を迷わせ、また望みの者を導かれるのだ。そしてかれの他、誰も主の多数の軍勢のことを知らない。アブー・ジャハルは嘲笑しつつ、ムハンマドはたった19名しか補佐を持っていないのか、と言った。かれは知るべきだ、地獄の火は、確かに人間に対する諭しであり、至高なるアッラーの偉大さを人が知るためなのだ、ということを。アッラーに称賛あれ。
多神教徒たちが言うように、監視人に対して、かれを地獄から遠ざけるには、かれの仲間だけで十分だと言うのは、誤っている。そう、アッラーは月に誓った。
退こうとする、夜にかけて、
また輝こうとする、暁にかけて。
地獄の火は、大災難だ。
それは人間への脅威と恐怖の試練である。
あなた方、人びとの中で、アッラーへの信仰と正しい道を前に進むことを望む者、あるいはまた、不信仰と罪で、後に残ることを願う者へのものである。
人は皆、その行ったことについて、責めを負う。その言動が身を亡ぼすかもしれないし、あるいは破滅から救うことになるかもしれない。
信者は別で、罪に問われることはない。その正しい行動のために、それは帳消しにされるのだ。
審判の日、かれらは楽園の中にいて、互いに尋ね合う。
罪を犯して、破滅した不信仰者たちに、
何があなた方を地獄の火に導いたのかと。
かれらは言う。われわれは現世において、定時の礼拝を捧げていなかった。
われわれはまた、貧しい人びとに施しをしなかった。
われわれは妄言の連中と共にいて、導かれず、逸脱の人びとに話しかけていた。
いつも審判の日を否定していた。
こうして拒否していたが、遂に死が来て、もはや悔い改めることはできなくなった。
復活の日、天使、預言者、篤信家などの執り成す者の執り成しも、かれらに役立たつことはない。というのは、執り成しには、執り成される者は満悦を持って受け入れられる必要があるからだ。
一体、これら多神教徒たちが警告から背き去るとは、どうしたのか。
かれらは逃亡するロバで、
恐怖心でライオンから逃げているようなもの。
実はかれらは、それぞれに頭の横で書巻が開かれ、ムハンマドはアッラーの使徒であるということを知らされることを望んでいる。証拠のないことやあるいはそれが弱いからではなく、かれらの執拗さと傲慢さから、そう望んでいるのである。
いや、事態はそうではない。その導かれないしつこさの原因は、かれらが来世の懲罰を恐れていないことにある。
いや、クルアーンは正に警告であり、諭しである。
だから誰でもそれを読みたい者は、そのように警告され、諭されるのだ。
だがアッラーが望まれる者の他は、そのようには学ばないだろう。その命令に服従し、禁止事項を避けることで、至高なるかれこそは、意識されて然るべきお方で、その僕の罪をよく赦されるお方である。