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アッラーに称賛あれ。かれこそは、その僕で使徒であるムハンマドに、真実と虚偽の識別のための基準としてクルアーンを啓示された。そうしてかれは、人間とジンへの使徒であり、アッラーの懲罰に対する警告者である。
諸天と地の大権は、かれのものである。かれは子をもうけず、またその大権の共同者もなく、かれはその知識と完璧な知恵により、すべてのものを適切に計量して創造された。
しかしマッカの多神教徒は、アッラーの他に神々を奉る。その神々は大小の何も創らず、他方かれら自らが創られるのであり、事実無からアッラーが創造されたのだ。また自らを害することも益することもできない。さらに、かれらには死も生も、死者の墓からの復活も不可能だ。
アッラーと使徒に不信心な人たちは、こう言う。クルアーンは嘘にすぎない、ムハンマドが捏造して、不敬にもそれをアッラーのものと言っているだけなのだ。他の人はそれを支援したと。しかし本当は、かれら不信仰者が不正と虚偽をもたらしたのであり、クルアーンはアッラーのお言葉である。人間やジンにそのようなことはできない。
またかれらは言う。ムハンマドが昔の物語を書き取り、朝な夕なに、かれにそれが口述されたのだと。
使徒よ、これらの拒否する人たちに言いなさい。諸天と地のすべてを知るアッラーがそれを啓示した。あなた方が考えるように、捏造されたのではない。確かに、かれは改心する者をよく赦される方で慈悲深い方なのだ。
また預言者を拒否した、かれらは言う。この使徒はどうしたことだ、普通の人と同じものを食べたり、生活のために市場を歩いたりしているのに。なぜかれに天使が遣わされ、かれが真実であるとして、かれを助けないのか。
または、かれには天からの財宝が授けられないのか。またかれには、生活のために市場を歩き回らなくて済むように、自由に食べる果樹園がないのかと。不正の人たちは言う。あなた方は使徒ではなくて、頭が魔術にかかった男に従っているに過ぎないのだと。
使徒よ、かれら不信仰者があなたをどれほど嘘で固めているかを見よ。魔術師だ、占い師だ、あるいは気違いだという。そうして真実から遠ざかったのだ。かれらは迷い去ってしまったので、道を見出すことができず、あなたの真実であることや正直さが確かめられない。
かれに称賛あれ。もしかれが望めば、かれらが考案するものより優れたもので、川が宮殿の下を流れる楽園や果実を自由に食べられる樹木、あるいはあなたの住まいとしての豪華な宮殿をあなたに与えることができる。
ところが、かれらの言葉は真実や証拠を求めているのではない。結局それは、審判の時を嘘呼ばわりしたのだ。そしてわれらはその時を嘘呼ばわりする人に、燃え盛る火を用意した。
不信仰者たちが遠く離れた所から連れられて来るとき、かれらはその燃える火の怒り狂い唸(うな)るような音を聞く。
両手は鎖で首に繋がれて、かれらが地獄の狭い場所に投げ込まれるとき、かれらはそれから逃れようとして、自分の破滅を願い出る。
今日になって1つだけの破滅を願ってもだめなのだ。いろいろの種類の破滅を願うように。しかし自分が望むものが与えられないのは同じこと。永久に苦痛の懲罰を受け続けるのだ。
使徒よ、言いなさい。「このような地獄が良いのか、それともアッラーを意識する人に約束された永遠の恵みがある楽園が良いのか。この楽園は信者たちにとっては、報いであり、復活の日に向かう住居なのだ。」
かれらには楽園に望むものがすべてあり、アッラーを意識する者たちが望むアッラーの約束だった。そしてその願いが叶うのは、決して約束を破ることはないからだ。
かれが不信仰者とアッラーの他にかれらが仕える偶像たちを一緒に召集する日、かれはその偶像たちに言う。「あなた方がわたしの僕を迷い去らせたのか。あるいは、かれらがこの道を自ら踏み外したのか。」
偶像たちは言う。「あなたに賛美あれ。あなたの他に擁護者を持つようなことは、わたしたちは絶対にするつもりはない。だからかれらにそうするように、呼び掛けるはずはない。しかしあなたがかれらとかれらの先祖に現世での享楽を与えたので、徐々にかれらは破滅に向かったのだ。そしてあなたを忘れ、あなたと同列に他のものを奉ったのだ。かれらはその悲惨さに運命付けられている人々なのである。」
偶像崇拝者たちよ、アッラーの他に崇拝した神々は、あなた方が言ったことを嘘として拒否した。だから、あなた方は苦痛を避けられず、また助けも来ないのだ。信者たちよ、あなた方の中でそのような同列者を配して不正を行なう人には、誰でもわれらは甚大な苦痛を与える。それは偶像崇拝者たちと同様なのだ。
使徒よ、あなた以前にもわれらは、食べたり、市場を歩いたりしない使徒たちを遣わしたことがない。だからあなたもそれと同じこと。人々よ、われらは富、貧困、健康や病気など色々の程度をもって、あなたたちを互いに試すような試練を創ったのだ。それで、あなた方は耐え忍べるか。その忍耐振りで報いよう。あなたの主(アッラー)は、耐え忍ぶ者すべてをお見通しで、また耐え忍べない者もご存じである。従う者たちと従わない者たちをよく知っておられる。
われらとの会見を望まず、懲罰を恐れない人たちは言った。「なぜ天使たちがわたしたちに遣わされないのか。そうすればムハンマドが真実であることを知らせることができるのに。」または「なぜわたしたちは自分の主であるアッラーを見ることができないのか。そうすればそういった話もできるのに。」かれらは実に自信過剰で横柄で、そのために信仰も持てないのだ。かれらは不信仰と横暴の限界を超えたのだ。
かれらが死んで天使たちを見る最後の日とは、移行過程にある時期だが、復活され清算に連れて行かれて、地獄の火に入れられる時である。罪深い人たちにとっては吉報のない日で、それは信者たちと異なる。かれら天使たちは言う。「アッラーの吉報は、あなた方にはあり得なくて、禁じられたものである。」
われらはかれら不信仰者の行なった善事を見てもそれは不信仰のために無意味であり、益することもないので、それは日の光に照らされる窓際に見る塵のように、まき散らされることとなる。
その最後の日、楽園の仲間は、現世における不信仰たちのより、もっと良い住まいともっと快適な休息の場所にいる。それはアッラーへの信仰のためで、またその正しい行いのためである。
その日、諸天は裂けて白い薄い雲を出して、降臨する天使たちは続々と集合地に遣わされる。
その日、真実の確立された王国の支配の大権は、当然慈悲深き方のもの。だから、不信仰者にとっては多難だが、信者にとってはその逆で楽な日となる。
使徒よ、言いなさい、「その日、使徒(アッラーの祝福と平安を)に背いて不正を行なった人は、悔しさからその手を噛んで言うだろう、もしわたしが使徒ムハンマドと共に主から来た正しい道を選んでいたなら、救いの道を歩めていたことになりよかったのに。」
さらに言う。何と情けないことか。わたしが、不信仰者の中で誰それを友としなかったならよかったのにと。
確かに、この不信仰者はクルアーンが使徒を経て来た後に、わたしを迷わせた。悪魔は常に人間を裏切る。そして問題が生じると、迷わせた人を捨て去るのだ。
使徒は人々の状態について言う。わたしの主よ、真にわたしの人びとは、このクルアーンを無視して拒否する。
それでわれらはそれぞれの預言者に、あなたが出会ったような害をなし、道を遠ざける人たちを、それぞれの罪深き人たちの中から敵としてもうけた。でも、真実への指導者や敵に対する援助者としては、あなたの主アッラーがいれば十分である。
一方、不信仰な人たちは、こう言った。「なぜクルアーンは使徒に対して、一度に全てまとめて啓示されないのか。」こうするのは、われらがあなたの心を堅固にするためで、われらは徐々に啓示を降ろすのだ。また理解を容易にして、さらに記憶するためである。
多神教徒たちは、あなたに何の意味ある説明もしない。それはアッラーが与えるものであり、真理と最善の回答をあなたに与える。われらはあなたに、よりよく説明されるものをもたらすのである。
その日に、顔を伏せて地獄に集められる人たち、かれらは最悪の状況にあり、それはまさしく地獄である。そして最悪の道にある、というのは、それは不信仰と逸脱の道なのだ。
確かにわれらはムーサーに啓典を授け、その兄ハールーンを補佐として任命した。使徒ムーサーを助けるためである。
われらは言った。あなた方2人は、フィルアウンとわれらの印を拒否する民の所に行きなさい。そこでかれら2人は赴いて、アッラーの唯一性を説いた。しかしそれをかれらは拒否し、われらはかれら拒否する民を完全に破壊した。
またヌーフの民については、かれらが使徒ヌーフ(平安を)たちを拒否したとき、われらはかれらを海に溺れさせて滅ぼし、悪人を懲らしめる力の証拠とした。われらは不正を行なう人たちに、厳しい苦痛を準備した。
さらに、アードの民であるフードとサーリフの民であるサムードと井戸の民(訳者注:シュアイブの民であるラッスの町の人々)、それからそれらの間の多くの民を破滅させた。
われらはそれぞれの民に警告の実例をもたらし、それぞれを不信仰と執拗さのために完全に破壊した。
確かにかれらマッカの多神教徒は、シリアへの旅路の途次に、災いの雨である石が不道徳を戒めるために降って襲われたルートの民の(サドゥームの)町を訪れた。それなのに、かれらは留意しないで、視力がないようにして、それを見なかったのか。いいや、かれらは復活やその後の清算を予想していなかったのだ。
かれらがあなたを見るときは、こう言って嘲笑し拒否するのだ。アッラーが使徒としてわたしたちに遣わしたのは、この人か。
かれムハンマドはもう少しで、わたしたちの神々から迷わすところであった。もし自分たちが、かの神々にしっかり付いていなかったら、わたしたちはその議論と証拠によって道を反れていたであろう。でも、かれらは自分の墓中と最後の日に苦痛を見るとき、誰が最も道に迷ったかをすぐに知るだろう。自分たちか、それともかれムハンマドかを、そして誰がさ迷っているのかを。
使徒よ、あなたは自分の欲望を神として、それに従った人を見たか。それなのに、あなたはかれらの保護者になって、道に連れ戻して、不信仰から立ち直らせようとするのか。
それとも、あなたがアッラーの唯一性と帰順を呼びかける人たちの多くが耳を傾けて、議論や証拠を理解するとでも思っているのか。よく聞いて理解し、了解するかどうかの点では、かれらは家畜のようなものに過ぎない。いいや、かれらはそれよりも道から迷っているのだ。
あなたの主アッラーがどのように影を地上に広げたかを、あなたは見なかったのか。もしかれが望めば、それを静止させることもできた。さらに、われらは太陽をその影の動きの指標とし、それは時間により長くも短くもなる。
その後、自身の方へゆっくり影を引き寄せ、太陽の高さに応じて徐々に小さくする。
かれこそはあなた方のために夜を覆いとし、休息のために睡眠をもうけ、昼間を外の仕事の時間とした。
かれこそはかれの慈雨の前に、僕たちに吉報の風を吹かせる方。そして、われらは空から清浄な雨水を降らせる。それでかれらは洗浄する。
その雨水によって、われらは死んだ大地に生命を与え、緑がなかったところに植物が繁茂し、われらが創った数多くの家畜や人間に飲ませるのだ。
かれらがアッラーに留意するために、クルアーンにおいて多数の議論や証拠を示した。しかし多くの人びとは拒否し続け、真実を拒むだけだ。
もしわれらが望めば、どの町にも懲罰のあることを警告し、アッラーの懲罰を恐れさせる者を遣わしただろう。そうしなかったのは、ムハンマド(アッラーの祝福と平安を)を人類全体の使徒として遣わしたからだ。
だから、不信仰者に優しくして、その要望に従ってはいけない。かれらに対し、このクルアーンをもって大いに奮闘努力し、かれらの危害に忍耐強くして、アッラーへと呼びつつその困難さを耐え忍ぶように。
かれこそは、2つの海を合わせた方。1つは甘くて美味く、もう1つは塩辛くて苦い。かれは2つの間に障壁を設けて、通り越せない仕切りとした。
かれこそは男女の液体から人間を創り、血縁と姻戚の絆をもうけた。真にあなたの主は力量溢れ、かれの力が男女の液体から人間を創造したのだ。
ところが、かれらはアッラーを差し置いて、従っても益することなく、逆らっても害することもないものに仕える。不信仰者はアッラーが怒るようなことで、いつも悪魔に従ってきた者である。
われらはあなたを信仰し正しい行いをする人たちへの吉報の伝達者として、また不信仰と背信により、アッラーに背く人たちへの警告者として遣わしたのだ。
使徒よ、言え。わたしは啓示を伝えることについてあなた方に何の報酬も求めない。ただし、誰でも望む人は施しをしつつ、アッラーの喜ばれる道を取りなさい。
また、死ぬことのない永生者であるアッラーを信頼して、その清浄さを宣告し、称賛の言葉をもってかれを賛美しなさい。かれはかれの僕たちの罪を、完全に熟知している。何事も隠せず、またしたことと同等に報われるのだ。
かれは諸天と地とその間にあるすべてのものを6日の間に創造した方で、さらにかれは玉座の上に座られた荘厳な方である。慈悲あまねき方であり、かれについては尋ねるまでもなく、すべてを熟知して、何事も隠せない方である。
かれら不信仰者が慈悲深き方に頭を下げなさいと言われと、かれらは言う。「慈悲あまねき方とは何か。わたしたちがあなたが命じるものに頭を下げるのか。われわれはその方を知らないし、また認めてもいない。知らないものに頭を下げるわけにはいかないのだ。」こうしてかれらはアッラー信仰からの逃避を増すばかり。
かれに称賛あれ。かれは天に天体の定位置と星座を設け、またその中に光る太陽とそれを反射して地上を明るくする月を設けた。
かれこそは、アッラーに留意して正しい道に従い、その恵みに感謝しようとする人のために、夜と昼を続けて交代するように設けた方である。
慈悲深き方の僕とは、謙虚ではあるが誇りをもって地上を歩く人たちで、馬鹿げた人たちが話しかけても、同じようにやり返すのではなく、かれらが悪から救われるようなことを告げるのである。
また、かれらはアッラーの御前に額を付けて平伏礼して、また立礼して夜を過ごす人たちである。
また、かれらは主にたいしてこう言う人たちである。「わたしたちの主よ、地獄の苦痛(懲罰)をわたしたちから遠ざけてください。その苦痛は恒常的で、不信仰者たちの死に常に伴うものである。
実にそれは悪い定住地で、悪い住まいだ。」
また、かれらが金銭を使うときには過剰な浪費はしないが、自分と他の人で支出しなければいけない範囲に限るのではなく、(判断基準としては)浪費とケチの間を何とかしのごうとする人たちである。
また、かれらはアッラーと共に他の神に祈らない人たちであり、また人殺ししない人たちである。ただし殺人者、棄教者、結婚した人で姦通した者といった正当な理由があれば別である。あるいはまた姦淫などしない人である。もちろん、そのような大罪をする人は、最後の日に懲罰を受ける。
復活の日にはかれへの苦痛(懲罰)は倍加され、その恥辱の中に永遠に住むのである。
ただし、改心し善行に励み、改心の誠実さを示す人は別で、アッラーはかれらの悪行を、善行で置き変える。アッラーは改心する僕の罪をよく赦される方で、慈悲深い方なのである。
誠実、誠意をもって改心して善行に勤しむ人は、確かにアッラーに受け入れられる。
また、慈悲深き方の僕とは嘘の証言をしない人たちで、罪の現場や禁じられた娯楽場には行かないで、無駄話や行動をしている側を通るときは、急いで過ぎ去り、それに係り合わないで尊厳を持って距離を保つ人である。
また、かれらはアッラーの印が想起されると、耳が聞こえない人や目が見えない人のように、見ず、聞かずの振る舞いはしない人たちである。
また、かれらは祈ってこう言う人たち。わたしたちの主よ、敬虔さと真実への堅固さのために自分たちの目の癒し(心の安らぎ)となる妻たちと子孫たちをわたしたちに与え、わたしたちをして、アッラーを意識する人びとの模範にしてくださいと。
これらの特性を持つ人はアッラーに従って耐え忍んだことにより、楽園で最高の位階を授けられる。また、そこで天使たちに挨拶と平安の祈願で迎えられ、あらゆる困難から守られている。
その中に永遠に住む。そこで定着し、その住まいの何とすばらしいことか。
使徒よ、不信仰者に言いなさい。もしアッラーにあなた方が祈らなくても、主はその服従から利益が得られないとして気にされることはない。つまり服従や嘆願のために主を呼ぶ僕がいなくても、かれはあなた方に気を配られることはない。確かに、あなた方は主から使徒がもたらしたものを拒否した。そのような拒否に対しては、やがて避けられない懲罰が来るのである。