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ある多神教徒が、自分とその人びとのために懲罰が来るように呼び掛けた。それはかれにとっては冗談だが、現実としては、審判により不信仰者にアッラーから来るべきものである。
不信仰者は、それを防ぐことは出来ない。
高さ、位階、美徳、恩寵の主、アッラーからのものなのだ。
天使たちや清魂(天使ジブリール)は、一日にしてかれの元に登る。その一日の長さは、5万年である。
使徒よ、だからあなたは、立派に耐え忍びなさい。心配なく、不満もない。
かれらは、懲罰は遠くて、不可能と言うが、
われらは、それが近くて、不可避と言っている。
最後の日、天が溶けた銅や金などの金属になり、
山々は、軽い羊毛のようになり、
誰も自分のことで手一杯となり、他人のことを尋ねる親しい人はいない。
かれらは近親者を目前に見るが、恐ろしさの余り、互いに何も尋ねない。罪人はその日、自分の罪を贖うために、自分の子孫から犠牲を出してもいいと思うくらいだ。
その妻や兄弟たちを、
かれをかくまった近親、
そして自分が助かるなら、地上の人やジンの誰であれ、地獄の火の罰をのがれるために差し出すのだ。
いや、それは断じてならない。実にあの地獄の火炎は、
頭の皮を剥ぎ取る。
真実に背を向けて去っていった者を、呼び返す。信じず、受け入れなかった者たち。
また富を蓄積し、アッラーの道に差し出さなかった者も。
人間は、強欲に創られている。
悪いこと、つまり病気や貧困に出会うと、辛抱できずに嘆く。
良いこと、つまり豊作や富に出会えば、アッラーの道に差し出さない。
だが礼拝する者はそうではなく、非難されるべき特質はない。
いつも礼拝をしている者、かれらは悪から遠く、定時に礼拝する。
また自分の財産は限度を知り、妥当なところに留め、
物乞いや、乞うことはなくても窮乏する者のために施す。
審判の日を真実とする者、その日、アッラーは全員に応分に報われる日。
またすでに善行を重ねていても、主の苦痛を恐れる者。
確かに主の苦痛から逃れて、安全な者はいない。
また自分の陰部(貞操)を守り、恥ずべき行為を慎む者、
その妻や右手の所有する者(奴隷)だけを求める者の場合は別で、かれらは罪に問われない。
しかし妻や右手の所有する者(奴隷)以外に快楽を求める者は、アッラーの境界を越えた者である。
富や秘密などを託された者、あるいは約束した者は、それを守る。
証言に当たり正直な者、人間関係や敵対心に左右されない者、
また礼拝の定刻を、洗浄し態度良くし、集中して厳守する者。
これらの者は楽園の中で、栄誉を授かる。永久の恩寵に浴し、アッラーの尊顔を拝するのである。
使徒よ、不信仰者たちが、今あなたのことをどうして急いで拒否するのか。
右からまた左から、群になって。
かれらは皆、安楽の楽園に入れられる野望を持っているのか。不信仰でも永遠に贅沢できると考えるのか。
いや、決して出来ない。われらは、かれらが知っている卑しい液体から、かれらを創ったのだ。かれらは弱くて、自分に益も害ももたらせず、どうして傲慢でいられるのか。
アッラーは、太陽と月の昇る東と西の地点の主にかけて誓う。われらは真に能力大である。
信者をかれらに代えることや、かれらを破滅させることができるのだ。できない理由はない。そのように交代や破滅を望めば、われらは、失敗することはないのだ。
だから使徒よ、あなたは、かれらを無駄と迷いに浸らせておけば良いのだ。かれらは現世で戯れており、やがてかれらが約束されている復活の日に出会うのだ。
かれらが墓から慌ただしく出て来る日。それはまるでかれらが旗印へと大勢で急いでいるようである。
かれらは目を伏せ、恥辱を被る。現世において、これがかれらに約束されていたが、留意しなかった、あの日なのである。