ترجمة معاني سورة الفتح باللغة اليابانية من كتاب الترجمة اليابانية للمختصر في تفسير القرآن الكريم .

使徒よ、われらはあなたにフダイビヤの和議によって明らかな勝利をもたらした。
アッラーがこの和議以前かつこれ以降のあなたの過ちを赦し、あなたの宗教を助けることであなたへの恩恵を完遂し、イスラームの正道へあなたを導くためである。
そして誰も遮ることのできない力強い援助でアッラーがあなたを敵に対して助けるためである。
信仰の上に信仰が高まるよう、信者の心に不動の精神と安泰の気持ちを与えたのはアッラーである。アッラーにのみ天地の軍勢はあり、かれはお望みの者に助けを与えられる。アッラーは僕たちに役立つことをよく知る御方であり、援助を与えるうえで英明な御方であられる。
アッラーとその使徒を信じる男女の信者を城下や木々の下を川が流れる天国に入れ、彼らの悪行を帳消しにして咎めないためである。求められるもの、すなわち天国を得て、怖れられるもの、すなわち悪行の咎を負うのを遠ざけるといった、ここで言及されていることは、アッラーの御許におけるこれ以上ない成功の成就なのである。
一方、かれは偽信者の男女を罰せられ、アッラーの他に別のものを崇める多神教徒の男女を罰せられる。彼らはアッラーがご自分の宗教を助けることはなく、その御言葉を高めることはないと勝手に思い込むが、懲罰の循環は彼らのもとに舞い戻り、その不信仰や悪しき想念のせいでアッラーのお怒りを買い、そのお慈悲から追い出され、あの世では永遠の火獄が用意される。帰りどころとして、火獄はなんとおぞましい行先だろうか。
アッラーにのみ天地の軍勢はあり、かれはお望みの者に助けを与えられる。アッラーは威力並びない無敵の御方であり、その創造の御業、ご計画、ご配剤において英明な御方であられる。
使徒よ、われらがあなたを遣わしたのは、あなたの共同体に対する審判の日の証言者として、この世で得られる援助と制圧、あの世で得られる恩恵の吉報を信者に伝える福音の伝達者として、不信仰者にこの世で待ち受ける屈辱と信者による敗北、あの世で待ち受ける痛ましい懲罰を伝える警告者として、である。
きっとあなたたちはアッラーとその使徒を信じ、使徒を敬い丁重に接し、アッラーを朝晩称えるだろう。
使徒よ、リドワーンの誓いで多神教徒のマッカの民との戦いを誓約した者は、実際はアッラーとの誓約を結んだのである。というのも、多神教徒との戦いを命じたのはかれだからであり、報いるのもかれだからである。誓約の際に重ねられる手のうえには、アッラーがおられるというわけである。かれは(誓約に臨む)彼らを見ておられ、かれに不明なことは何一つない。よって誓約を破り、その教えを助けるとアッラーに誓ったことを守らなかった者は、誓約反故の害を自分自身で受けることとなる。アッラーがそれで害をこうむるわけではない。一方、その誓いを守った者には、かれは天国という偉大な報奨を与えるだろう。
使徒よ、マッカへの旅路を共にしなかったベドウィンでアッラーが居残らせた者は、あなたから責められると言うだろう。「財産や子供たちの面倒を見るので忙しく、お供できませんでした。どうか私たちの罪をアッラーに赦していただけるようお願いしてください。」預言者に罪の赦し乞いをお願いするなど、心にもないことを言っている。そもそも彼らは罪を悔い改めようとはしていないからである。彼らに言うがよい。「アッラーがあなたたちに良いことを望まれても、良くないことを望まれても、アッラーを前に何かできる人は誰もいません。どれほど隠そうとしても、アッラーはあなたたちの行いをよく知っておられ、かれに不明なことは何一つないのです。」
財産や子供の面倒を見るのに忙しかったというのが、あなたたちが出征できなかった理由ではない。むしろ使徒とその教友皆がやられてしまい、マディーナの家族のもとには戻れないだろうと思い、悪魔がそれを心の中で飾り立て、主についても悪しき想念を持ち、預言者を助けはしないだろうと思い込んだのがその理由である。あなたたちはアッラーのことを悪く思い、その使徒に背いたために、破滅する民となった。
アッラーとその使徒を信じない者は不信仰者であり、アッラーは不信仰者のために燃え盛る炎を審判の日の罰として用意されたのである。
アッラーにのみ天地の王権はある。お望みの者の罪をお赦しになり、その恩恵によって天国に入れ、その正義によってお望みの者を罰せられる。アッラーは悔い改めた者の罪をよく赦して下さる御方であり、慈悲深い御方であられる。
信者よ、あなたたちがハイバルの戦利品というフダイビヤの和議のあとで取ってよいと約束されたもののところへ出立しようとすると、アッラーが居残らせた者は言うだろう。「私たちも何か得られるよう一緒に行かせてください。」これら居残り組の者は、このお願いによってハイバルの戦利品をフダイビヤの和議のあとで信者にのみ与えるというアッラーの約束を取り換えようというのである。使徒よ、彼らに言うがよい。「戦利品を得ようと私たちのあとを追ってはなりません。アッラーはフダイビヤに参加した者だけに約束してくださったのです。」彼らは言うだろう。「私たちをハイバルに同行させてくれないのは、アッラーからのご命令ではなく、私たちへの嫉妬があるからです。」事はこれらの居残り組が思い込むようではなく、むしろ彼らはアッラーのご命令や禁止をほとんど理解しない。だからかれへの違反に陥ったのである。
使徒よ、ベドウィンのうち、マッカへの行軍であなたと同行しなかった居残り組を試しつつ言うがよい。「やがて戦に強い強靭な民との戦いに召集をかけられるでしょう。アッラーの道において彼らと戦うか、あるいは彼らが戦いなしにイスラームに入信するかとなります。アッラーがいざなう戦いにおいてかれに従えば、天国という良い報奨を与えて下さるでしょう。ですがマッカへの行軍と同じように居残ってかれに従わなかったなら、痛ましい懲罰で罰するでしょう。」
盲目や身体の障害、病気などの事情がある者には、アッラーの道における戦いに参加できなかったとしても罪はない。アッラーとその使徒に従う者を、かれは城下や木々の下を川が流れる天国に入れて下さるが、逆らって従わない者は痛ましい懲罰で罰せられるだろう。
フダイビヤの木の下でリドワーンの誓いによってあなたに誓いを立てた信者にアッラーは満足され、彼らの心の中には信仰と純真さ、誠実さがあることを確認された。そうして彼らの胸中に安らぎをもたらし、マッカに入れなかった代わりにハイバルの勝利というその後間もない勝利でもって報いられたのである。
そしてハイバルの民から数多くの戦利品を得られるように与えられた。アッラーは無敵で威力並びなく、その創造の御業やご計画、ご配剤において英明な御方であられる。
信者よ、アッラーはあなたたちに将来各地でのイスラームによる領土拡大を通して得られる数多くの戦利品を約束された。ハイバルの戦利品を与え、ユダヤ教徒があなたたちの留守の間に家族を襲おうとしたのを防いでくださったのは、すぐに手に入れられた戦利品をあなたたちにとってのアッラーのご援助の印とされ、あなたたちを正道へ導くためであった。
また、アッラーはあなたたちに今すぐは手に入れられない別の戦利品をも約束してくださった。アッラーだけが力を及ぼすことのできるものであり、今それはかれの知識とご計画の中にある。アッラーは全能であり、何ものもかれを妨げることはない。
信者よ、たとえアッラーとその使徒を信じようとしない者たちが戦いをけしかけてきても、やがて彼らはあなたたちの目前で負けをさらけ出して逃げていくだろう。彼らには後見役も援助者もいないのである。
信者の勝利と不信仰者の敗北は、全ての時代と場所において確実な出来事であり、これらの否定者の前に過ぎ去った共同体に定められたアッラーの摂理である。使徒よ、アッラーの摂理に変更はないのだ。
かれこそは80人ほどの多神教徒の男がフダイビヤであなたたちに危害を加えようとした手を止めてくださり、あなたたちが彼らを傷つけたりして一戦交えてしまわないように押しとどめてくださった御方。それだけでなく、彼らを捕虜にした後で武装解除させることができるようにしてくださった。アッラーはあなたたちの行うことを見ておられる。かれに不明なことは何一つないのである。
彼らこそアッラーとその使徒を信じようとせず、あなたたちに禁忌のあるマスジドを禁じ、供犠を禁じ、屠殺の場である禁忌のある場所にたどり着けないまま抑留させた者である。もしあなたたちが男女の信者を不信仰者と間違えて殺めてしまう可能性がなかったなら、マッカの信者のようにアッラーがお望みの者をそのお慈悲に入れて下さるよう、マッカ征服を許可してくださっただろう。マッカで信者と不信仰者の見分けがついたなら、アッラーとその使徒を信じようとしなかった者に痛ましい懲罰を味わわせていただろう。
アッラーとその使徒を信じようとしない者の心に、イスラーム以前の無明時代特有の誇りをかれはもたらされた。真理を真理とすることではなく、我欲に基づく誇りである。そうして彼らはフダイビヤの和議締結の年にアッラーの使徒をマッカに入れてしまうと自分たちが負けたと思われるのを恐れてそれを阻止した。だがそこでアッラーはその使徒と信者の心に安らぎをもたらし、(マッカ入りを阻止された)怒りが彼ら信者をして多神教徒への報復に突き動かすことはなかった。こうしてアッラーは信者に「アッラーの他に神なし」という真理の言葉を守らせ、それが意味するところを実践させたのである。信者はこの言葉に誰よりも見合う行動をとり、心の中に宿す善良さをアッラーが知るにつけ、それに相応しい者であった。アッラーは全てを知っておられ、かれに不明なことは何一つない。
アッラーはその使徒が夢に見て教友に伝えたものを正夢とされた。それは彼とその教友が禁忌のあるアッラーの家(マスジド)に敵から安全な状態で入っていき、巡礼行事の最後に禁忌状態を解くものとして剃髪した者もあれば、短くした者もあったというものである。信者よ、たとえあなたたちがわからなくても、アッラーには何があなたたちの役に立つかをわかっておられるのだ。だからその年にマッカ入りの正夢を実現されなかったことをむしろやがて来る勝利とされたのである。それがアッラーの実現されたフダイビヤの和議であり、フダイビヤの和議締結に居合わせた信者の手によって成し遂げられた、それに続くハイバルの勝利であった。
アッラーこそがその使徒ムハンマドを明らかな論拠とイスラームという真理の教えをもって遣わされた御方であられる。それは様々な異なる宗教全てのうえに(イスラームを)高々と掲げるためであり、すでにアッラーがそれを証言されたのである。証言者はアッラーで十分というもの。
ムハンマドはアッラーの使徒であり、彼と共にいる教友は敵対する不信仰者に対しては厳しいが、仲間内では情け深く思いやりに満ちた優しい者たちである。彼らに視線を向ける人よ、あなたは彼らが至高のアッラーに祈りを捧げて立礼、平伏礼をしつつ、アッラーのお赦しと良き報奨、お悦びをお願いするのを見るだろう。彼らの印は導きと姿勢、礼拝の光がその顔に表れた平伏礼の跡である。それがムーサーに下された律法で描かれている描写でもある。一方、イーサーに下された福音書では、彼らの例えはその完全なまでの相互扶助から小さな芽が脛の高さまで大きく育ち、植えた人がその見事な実りに感心する農作物である。それはアッラーが彼らを通してその力強い様と連携ぶり、完全さを不信仰者に見せつけ、悔しい思いをさせるためである。アッラーを信じ、善行を行う教友に罪を咎められることのない赦しと天国という偉大な報奨をアッラーは約束してくださった。