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天地にある全ての被造物で似つかわしくないものとアッラーは無関係であり、はるかに偉大である。かれは威力並ぶ者なき御方であり、その創造と教え、定めにおいて英明な御方。
かれこそは、アッラーを信じようとせずその使徒ムハンマドを否定した、ナディール族をマディーナからシリア地方へと追い出した御方であられる。彼らは元々律法の民ユダヤ教徒だったが、やがて契約を裏切り、多神教徒となってしまった。信者よ、彼らをシリア地方へと追い出すがよい。あなたたちは彼らの威勢を前に彼らが出ていくとは思わなかったし、彼ら自身も彼らのこしらえた要塞があればアッラーの威力や懲罰を防げると思っていた。ところがアッラーの威力は彼らの想定外のところからやって来た。使徒が彼らの攻撃と追放を命じたのである。そしてアッラーが彼らの心に激しい恐怖を投げ込み、ムスリムの手に渡らないように自分で自分の家を中から壊し、ムスリムは外から壊すという事態となった。だから心眼の持ち主よ、彼らが不信仰のせいでどうなったかの教訓を得て、彼らが受けた懲罰を受けずに済むよう、彼らと同じようになってはならない。
もしアッラーが彼らに対して故郷追放を定めておられなかったなら、彼らの同胞クライザ族にそうされたように、この世での殺害と捕虜で苦しめておられただろう。いずれにしても、彼らにはあの世で火獄の懲罰が待ち受けており、永遠にそこに留まるのである。
彼らに起こったことは、不信仰と誓約違反でアッラーとその使徒に敵対したからである。アッラーに反抗する者はアッラーが懲罰に厳しい御方だということを知れ。必ずやその者はかれの厳しい懲罰を受けるのである。
信者の集団よ、ナディール族との戦いにおいてあなたたちがアッラーの敵を怒らせるためにナツメヤシの木を切る、またはあなたたちが役立てられるようそれを根幹の立つまま放置したとしても、それはアッラーのご命令であって、彼らが思い込むような地上を荒廃させることではない。アッラーはそれでかれへの忠義から外れて誓約違反をし、忠実であることよりも謀略を選んだユダヤ教徒を辱められるだろう。
アッラーがその使徒に帰されたナディール族の財産は、あなたたちがそれを求めて馬やラクダを整えて駆け付けたわけではなく、特に苦労して得たわけでもなかった。だが、アッラーはお望みの者に対してその使徒を制圧せしめられ、使徒にナディール族を制圧させ、戦闘なしに征服させたのである。アッラーは全能の御方であり、遮るものは何一つない。
アッラーが使徒に戦闘なしに恵んだ村民の財産はアッラーのためにあり、お望みの者に分け与えられる。使徒とその親族ハーシム家やムッタリブ家には、施しを受け取ることができない代わりの代替寄与があり、孤児や貧者、費用を使い果たした旅人にも然りである。それは貧者をよそに裕福な者たちの間だけでお金が回らないようにするためのこと。信者よ、使徒が戦利品の中から分け与えてくれるものはこれを受け、禁じたものはこれをやめよ。アッラーのご命令を果たし、禁止を避けることで意識せよ。本当にアッラーは懲罰に厳しい御方だから、その懲罰には注意せよ。
このお金の一部はアッラーのために自分の家族や財産を置き去りにせざるを得なかった、移住した貧しい信者のために使われる。彼らはアッラーがこの世で糧をお恵みくださり、あの世でお悦び下さることを願って、アッラーのためのジハードに参戦することでアッラーとその使徒を助けるのであった。これらの特徴を持つ者こそ、本当に不動の信仰を持つ者である。
移住者よりも先にマディーナに住み着き、アッラーとその使徒への信仰を選んだ援助者は、マッカから移住してきた者を愛し、たとえ戦利品のうち彼らには与えられなかったものが移住者に与えられても嫉妬することはない。それどころか、たとえ自分たちが貧窮していたとしても、移住者を己に優先させるほどである。お金への執着からアッラーに守られ、かれへの奉仕で費やす者こそ、願うものを得て怖れるものから救われる勝者である。
審判の日に至るまで、これらの者の後にやって来て誠心誠意彼らに従う者は、「我らが主よ、私たちを赦し、私たちよりも先にアッラーとその使徒を信じた信仰上の兄弟を赦してください。どうか私たちの心に信者の誰に対しても憎悪の念を抱かせないでください。我らが主よ、あなたは思いやり深く、慈悲深い御方です」と言う。
使徒よ、不信仰を胸中に隠しつつ、信仰を表明する者が、不信仰における同胞たる、改竄された律法を奉じるユダヤ教徒に言うのを見たか。「我々はあなたたちを見捨てたり、引き渡したりしないから、自分の家で待機していてくれ。もしムスリム側があなたたちを追い出そうものなら、我々はあなたたちへの連帯を示すために共に出て行くだろう。我々を止めようとする者に従いはしない。もしあなたたちに戦いをけしかけようものなら、我々はあなたたちを助けるだろう。」だが、ユダヤ教徒が追い出されれば共に出て行き、戦いをけしかけられれば共に戦うといったことを言う偽善者は嘘吐きだとアッラーは証言されるのである。
もしムスリムたちがユダヤ教徒を追放したとしても彼ら(偽信者)が共に出て行くことはなく、戦いを始めたとしても助けることはない。またもし彼ら(ユダヤ教徒)がムスリムに対して偽信者を助け、戦いを始めたとしても、偽信者は逃げ出すだけで、その後偽信者が助けを得られることはないだろう。アッラーは彼らを貶め、恥辱を与えられるだろう。
信者よ、あなたたちは偽信者やユダヤ教徒の心の中ではアッラーよりも恐ろしい存在なのであり、彼らがあなたたちよりも恐れ、アッラーへの恐れが弱いのは、彼らが理解しない民だからである。なぜなら、もし彼らが理解する民であったなら、アッラーこそが本当に恐れられるべき存在であり、かれこそがあなたたちを彼らよりも優勢にされた御方なのだということがわかるはずだからである。
信者よ、ユダヤ教徒は城壁で守られた村か壁の後ろ側からでなければ、一丸となってあなたたちと戦うことはない。臆病なために、対峙することができないのだ。仲間内では互いへの敵愾心から威勢がよく、一致団結していると思い込んでいるが、実際のところ彼らの心のうちは分裂しきっている。そうした分裂と敵対は彼らが考えない民だからであり、もし考えることができたなら、真理を知ってそれに従い、分裂などしなかったはずだからである。
これらユダヤ教徒の不信仰の有り様とどんな懲罰が下されたかの例えは、少し前のマッカの多神教徒のようである。不信仰の成れの果てを味わうこととなり、バドルの戦いにおいて殺される者は殺され、捕虜とされる者は捕虜とされた。また彼らには、あの世ではさらに痛ましい懲罰がある。
偽信者の聴き方の例えは、悪魔が人間に不信仰を耳あたりの良いものとするようであり、いざ人間が騙されて不信仰に陥れば、悪魔は言うのだ。「お前の不信仰に俺は関係ない。俺は万物の主アッラーが怖い。」
悪魔とそれに従った者の結末は、審判の日に火獄行きとなり永遠にそこに留まるというものである。彼らを待ち受けるそうした報いこそ、己を欺き、アッラーの定めた境界線を越える者への報いに他ならない。
アッラーを信じ、その教えにのっとって善行を行う者よ、ご命令を果たし、禁止を避けることでアッラーを意識せよ。そして審判の日のために自分がどんな善行をしたかを顧みよ。アッラーを意識するのだ。本当にアッラーはあなたたちの行いを熟知しておられ、不明なことは何一つなく、行いに応じて報いられるのである。
ご命令実践をやめ、禁止を避けるのをやめることでアッラーを忘れてしまい、アッラーにも忘れられて、アッラーのお怒りと懲罰から救われる行いをしない者のようになってはならない。そうした者こそ、アッラーのことを忘れてご命令を果たすことも禁止をやめることもしない、アッラーへの忠義から逸れてしまった者である。
火獄の民と天国の民が等しいことはない。むしろこの世での行いに違いがあったように、得る報いにも違いがある。天国の民こそ、望むものを得て、怖れるものから救われる勝者なのである。
もしわれらがこのクルアーンを山に下したとしたら、使徒よ、あなたはその堅固な山がアッラーへの恐れのあまり揺れ動くのを見るだろう。クルアーンには、強力な啓発や厳しい警告があるからである。こうした例えをわれらが人間にもたらすのは、理性を働かせ、クルアーンの章句に込められた教訓に学ぶだろうからである。
かれこそは、他に正しく崇められるべき存在のないアッラーである。かれは目には見えないものも見えるものも知る御方であり、かれに不明なことは何一つない。この世でもあの世でも慈悲あまねく慈悲深い御方であり、かれの慈悲はあらゆる世界に行き渡る。王であり、全ての欠陥とは無縁で清く尊い御方。欠点の全くない健全な御方であり、明瞭な印の数々によって使徒たちの正しさを証明する御方。僕たちの行いを監督する威力並びない無敵の御方。全てを威圧する威圧者であり、尊厳者。アッラーは多神教徒が並べ立てる偶像などからは、無関係で清い御方であられる。
かれこそは、他に正しく崇められるべき存在のないアッラーである。かれは目には見えないものも見えるものも知る御方であり、かれに不明なことは何一つない。この世でもあの世でも慈悲あまねく慈悲深い御方であり、かれの慈悲はあらゆる世界に行き渡る。王であり、全ての欠陥とは無縁で清く尊い御方。欠点の全くない健全な御方であり、明瞭な印の数々によって使徒たちの正しさを証明する御方。僕たちの行いを監督する威力並びない無敵の御方。全てを威圧する威圧者であり、尊厳者。アッラーは多神教徒が並べ立てる偶像などからは、無関係で清い御方であられる。
かれこそは全てを創造された創造主であり、無から有をなし、望み通りに被造物を形造る。至高のかれには、高潔な特徴を帯びた美名がある。天地にあるもの全てがかれから欠点を無縁なものとする威力並びない無敵の御方であり、その創造と教え、定めにおいて英明な御方。