surah.translation .

啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)と多神教徒で不信心な者は、かれらに明証と明澄な論拠が来るまで、合意した不信仰と約束に背反しようとはしなかった。
この明証と明澄な論拠とは、アッラーからの使徒で、清浄な人だけが触れることのできる、清浄無欠な書巻(クルアーン)を読んで聞かせる。
そこには、真正な情報と公正な裁きがある。それは人びとを導いて、正しさと良識を教える。
律法を授かったユダヤ教徒、福音書を授かったキリスト教徒たちは、預言者がアッラーによって遣わされるまでは、異論を唱えなかった。ムスリムになった人もいたが、預言者の真実を知っていながらも、その不信仰に留まった人びともいた。
ユダヤ教徒とキリスト教徒の罪と執拗さは明白である。クルアーンでかれらが命じられたのは、かれらの啓典で命じられていたことだけであった。つまり、同列に配することなく、ただアッラーに仕え、礼拝の務めを守り、定めの施しをするというだけのことであった。だからかれらが命じられたのは、逸脱することのないまっすぐな教えなのである。
ユダヤ教徒とキリスト教徒と多神教徒で不信心の者は、審判の日には、地獄の火の中に入って、そこに永遠に住むのだ。これらは、被造物の中でアッラーを信じず、 使徒を拒否したので、最悪の者である。
だが信仰して善行に励む者たちは、被造物の中で最善の者だ。
かれらへの主(アッラー)からの報奨は、樹木と宮殿があり川が下を流れる楽園で、そこに永遠に住む。アッラーはかれらの信仰と服従に満悦され、かれらも恩寵に喜悦している。これらは主を畏れる者に対するもので、その命令に従い、禁止されたものは控えるのだ。